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今朝車の中で、AMラジオの「おはようパーソナリティ道上洋三です」を
聴いていたら、加藤いつかさんという方がゲストにきていました。 今日は阪神淡路大震災から10年目の日。「はるかのひまわり」という本をご存知の方も多いと思います。NHKのドキュメンタリー番組でもとりあげられていました。 神戸市東灘区の自宅で1995.1.17を迎えたはるかさんは11歳。いつかさんは15歳。4人家族のうちはるかさんだけが家具の下敷きになって亡くなりました。その後家族の暮らしは一変し、お父さんは無言で仕事に生きる、お母さんは泣き暮らす毎日。いつかさんは感情を押し殺し、居場所を失っていきます。 その年の夏、妹さんが亡くなった場所に一輪の大きな「ひまわり」が咲くのです。それは、生前にはるかさんが可愛がっていた隣の家のオウムの餌だった「ひまわり」の種から咲いた花でした。それを見つけたのは、はるかさんを必死で救出しようとした近所のうどん屋さんのおじさん。それを「はるかのひまわり」と呼んで、絶えることなく植え続けてくれたそうです。そんなはるかさんを通して知り合った人たち、同じように震災を経験した人たちに囲まれて、いつかさんも自然に泣くことができるようになった… いまでは神戸の街以外にもこのひまわりの種を譲り受けている人たちが全国にいます。(参照) いつかさんが番組の中で「来年を過ぎると、はるかが生きていた時間よりも、いなくなった時間のほうが長くなってしまう。もう生きていたら、こんな感じで大きくなったのかな、と想像するのも限界。それが寂しい。」とおっしゃっていました。また、「冬になると電気を消して眠るのがコワくなる。」とも。 彼女はNPO法人「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」という団体に所属し、これからも語り部として神戸で起こったことを後世に伝えていくのでしょう。その家族に応じた避難袋が必要と説いているそうです。 小学校でお話しをしに行ったとき「地震が起きたら何をもっていく?」と質問したら「うーん、鉄パイプ」と答えた生徒がいたそうです。なんで???と思いきや、これがけっこう理にかなっていて、「つっかえ棒にもなるし、てこの原理で建物の下敷きになってる人を助けられるでしょ?」という理由なのです。感心しちゃいますよね。子供ってけっこうスゴイわ。
by natsuko_cat
| 2005-01-17 09:53
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